愛されていたい だから微笑んでいよう

風呂上がりに興がのればしばらく裸でいることがあったりするじゃない、一人暮らしの特権として。別に誰に迷惑かけるでもなし、裸でネットしたり裸で「笑っていいとも」みたりするのもオツなもんだ。買ってきたばかりの本を裸で読むのも何か楽しい。僕の住んでいるアパートの部屋は南と西におっきな窓があるから、晴れた日の昼前からしばらくの昼下がりはこの時期も暖房なんていらないくらいに暖かくてそりゃもうフィーリングッド。あたたかなひざし、そよぐシモーヌ。とっても気持ちがいいもんだ。あ、シモーヌはうちの「しもの毛」の愛称です。かわいがってやってください。


まあそんなこんなできもちいい昼下がり裸生活(こう書くと電波少年の企画みたい!)だけど、一ついかんともしがたい問題があって、それは何かって「フルチン」っていう圧倒的に無防備な事実。無防備が過ぎる。
まず何より、大の男が外界から身を守るものを何もまとわずにごろごろしてるのはさすがにまずい。あるいは強盗が襲ってくるかもしれないし火の手が回ってくるやもしれない、人生も世界も常に危険と隣り合わせなのに、フルチンじゃ戦えないし逃げ出せない。有事に対する準備が無さ過ぎる点でフルチンは相当にデンジャラスな死亡遊戯だ。
それにフルチンって言葉の響きもよく無いよね。漂うフルーツポンチ感がよくない。ダンディー坂野レベルのハイクラスダンディズムを追求する僕だから、LEONちぎって鼻かんでBRIOでお尻ふいちゃう僕だからこそ、そんなフルーツポンチみたいな甘ったれた状態でいるわけにはとてもいかない。お見合いの席でさあ、すっごいきれいなお嬢さんから「ご趣味は?」って聞かれたとして「あ、趣味はフルチンなんです」ってちゃんと答えてるのに「フルーツポンチです」に聞き間違えられて、挙げ句の果てに「あらあら、ファンシーなボウヤだわ」とか思わたらたまったもんじゃないよ!


んなわけでよーしわかったおじさん考えた。上に書いたこと全部解決。「フルチン」のことを「古内東子」って呼べばいいんだよね。
まず古内東子の顔ってなぜか変に怖くてクモ女みたいだから、抜群の魔除け/厄払い効果が期待できる。強盗も火事もオールオッケー、最強魔除け古内東子ならそんなショボい災厄はことごとく追い払ってくれるはず。それにフルーツポンチ的な甘っちょろいニュアンスも徹底排除。古内東子なんて、名前出すだけでストリートのならず者たちも道を空けるくらいに歌詞の内容が情念深くて怖いからもう大丈夫。やさしくされると切なくなる、とか背中に彫り物でも入れとけばフルーツポンチなんてどこ吹く風。
なーんだ、フルチンなんて簡単だ。余裕だよ余裕。


というわけで問題点も多くは解決、明日の実習に備えて寝るか。あー、古内東子の夢(フルチンって意味じゃなくてね!)でも見られるといいですね。