イケナイコトカイ

さあさあ、今日も今日とて安室奈美恵Queen of Hip-Pop)聞きながら日記書こうとしてるわけだけど。ほんとめっちゃくちゃいいね、このアルバム。


今日の夜は学部の友達I下、S田と飲んでた。初めてだったけど、立ち飲みいい!立ってんのが段々めんどくさくなってくるのがいい!


立つと言えば、「立つ」ってことに過剰な自負を持ちすぎだよね人間って。上で「立ち飲みイイ!」とか言っといてあれだけど、その過剰な「立つ」=「シャンとしてる」っていう感覚が気に入らない。いや、「立つ」じゃなくて「寝てない」だな、厳密に言えば。


いっつも思うんだけど、東京って寝転がれる場所が少なすぎる。ホテルでもカラオケボックスでもマンガ喫茶でも、とにかく寝転がろうと思ったら金銭が発生するでしょ。まあ東京に限った話じゃなくて、どこだってそうだけど。
人前で寝っ転がってたっていいじゃん。例えばネット使って株の取引やってる人って、寝転がったったからって生産性が落ちるわけじゃないでしょ。眠くなってだらけるっのはあるかもしれないけど、そんなの本人の問題だし。何で「ちゃんとした人」になるためには「人前で寝転がらない」ってファクターが必要なんだろうって思う。切に思う。
椅子に座るとかそんなんじゃなくて、「寝っ転がる」じゃないとダメなんだ。心が安らがないし、体がつらい。家を出るってことは「寝っ転がれなくなる」ってことで、その意味ではやっぱり外出って一種の負荷なわけだ。寝たいときに寝られないってありえんよ。


僕だけかもしれないけど、一緒に寝っころがるだけですごく心の距離が縮まる。例えばサークルとか部活の合宿。例えば家飲みの最後のぐだぐだしてるとき。並んだ布団。同じ布団。そういう時間を経ると友達先輩後輩恋人、何でもいいけどすごく近づける気がするんだな。思いこみかな。


上で「何で外に出たら寝転がれないんだ」って書いたけど、まあそんなの本当は当たり前で、多分「保険」ですよね。寝転がるってどうしたって身体的にも気持ちの上でもものすごく無防備になるから互いに寝転がるのはやめておこうよー、みたいな保険。「人前で寝転がるのははしたない」っていう規範を作っておけば自分が寝転がりたくなった時の社会的損失を防げるから、みんなで自然法的に「寝転がっちゃいけませんルール」を作ったんじゃないのかな。自然法って言葉ニュアンスで使っちゃったから間違ってるかもしれないけど。
みんな寝転がりたいでしょ、本当は。いつだって。(みんなが全然そんなこと思ってなかったらどうしよう…)


で、そういう「みんなやりたいと思ってるけどやっちゃいけないことになってる」的な抑圧状態って、性風俗産業の例をとるまでもなく、金銭を介して容易に商売になるじゃない。だから「寝っ転がりパブ」が合ったらすっごい売れると思う。かわいいおねえちゃんと寝転がりながら目を合わせ足り単純にゴロゴロしたりするの。うっわー、考えるだけで超楽しい!そしていっつも気が付いたら「パブ」作ろうとしてる自分を殺してやりたい。


うーん、立ち飲み屋の話から寝転がりパブの話になっちゃったけど、まあそういうことです。