申しわ毛ない

みんなが昼夜なく額に汗して悩んで学んで働いてようやく辿り着いたインターネットタイム、そんな憩いの一時にどこぞの馬の骨が怒りを吐き散らしているだけの話なんて聞きたくないのは僕だってよくわかってる、でもお願いだ、聞いてくれ、今日だけは僕の静かな怒りに耳を傾けてくれ。


いるんだ。僕はたまに大学の体育施設にある共用プールへちょこまかと泳ぎにでかけたりするんだけどそこにいるんだ、ビキニタイプの競泳用水着はいてるくせにその脇から毛がモジャモジャはみ出てる奴が。必ず一人は。多いときは三人くらい。臍の下に生えるギャランドゥのことじゃないよ、どう考えても「陰毛」の延長線上としてビキニタイプの股の部分からはみ出した毛のことだよ。
今日もいた、この前もいた、いつだっていた。おい君たち、そのワカメの出来損ないみたいのを早くしまいなさい。せめて増えるかと思ったら水を吸いすらしないじゃないか、そのワカメは。


何なのだろう、あのはみだしっぷりは。そもそも股間周囲あそこらへんの毛って恥ずかしくって「申し訳ない」ものじゃない。「すいません、僕、毛ですけど、周りに別段毛が生えてるわけでもないのに忽然と生えてきてしまって本当にごめんなさい、申し訳ない。でも生えずにはいられなかったんです、重ね重ね、申し訳ない」ってそういう類のものでしょ?生やしてる人間にしてみたって「生まれたときは生えてなかったはずのに、不注意にだらしなく生きてきてしまったせいでこんなとんだものを生やしてしまって…親御さんに何と言って謝ればいいのか…誠に、誠に申し訳ない」なパーツでしょ。
つまり、あそこら辺の毛って大袈裟でも何でもなく「申し訳ない」の「結晶」なのだ。そもそも人間は「申し訳ない」と思えるおそらく唯一の動物であることを鑑みるに、あそこら辺の毛を隠すという行為すなわち「申し訳ない」の営みこそが、人間としての生の喜び、慎み深い人間賛歌なのだと思う。


それを何だ、あのはみ出し軍団は自慢気にモッサモッサ。不快、大いに不快。公共の場で「下の毛」の延長線上にある毛が見えてるのが単純にキモいのはもちろんのこと、彼らが抱える「申し訳ないの欠如」という病理が何より腹立たしい。俺、毛が生えちゃってるんだからしょうがないじゃーん、みたいな。いやいや、お前のそれは単なる毛じゃなくて、リアルそのままチン毛だろ。
そんなに毛が生えててそれでもプール来たいんだったらその原生林みたいのをきちんと処理してきてください、っていうのは手間がかかるし無理だとしても、トランクス型の水着にしてください。それだけでいいんです。もしくは、プールには小さなラッコがたくさん住んでいて僕らのそよぐ毛を海草代わりに巻いてすやすや寝るんだよ。そんな夢のある嘘を用意してきてください。


あの毛はおかしいって、これ、思ってるの僕だけ?すっごい気になるというか、最初にそれを「許される」と判断した彼らの思考回路が理解できないんです。何でそこでビキニタイプを着用したくなるのか、マジでわからん。別にスピードを競うプールじゃないのに。ちょっと慎めば「この毛はおかしい」ってわかるだろうと。毛、ひいては男らしさの自慢??いやだから毛は「申し訳ない」ものなんだって。あー、次もまたプールでは毛に会うのかと思うと、今から陰鬱な気持ちになる。