方向性

やっぱり自分で書いたものを他の人が読んで楽しんでくれるのって「表現」とかそんな立派なものでは全くないにせよすごく嬉しい。なのでこのブログはここへ足を運んでくれた人になるべく楽しんでもらえるように書いているつもり(←すみません、わかってます。藤井フミヤよりも調子こいてるって自分でわかってます、ホントごめんなさい…)なんだけど、それと同時に「思ってることを読んでる人に遠慮せずそのまま書きたい」っていう気持ちもすごくある。悩みを悩みとして書きたい。思ったことを飾らずそのまま記録しておきたい。「フミヤート」が許されてしまう、そんな「言ったもん勝ち」の世の中だ。ブログの中にそういうささやかな幸せが許されてもいいんじゃないだろうか。


そもそもブログを始めたモチベーションは日頃思ってることを文章にする中で整理していきたい、頭に浮かぶよしなしを書き残しては後に振り返り「あの頃はこんなこと考えてた/思いついてたんだ」的な感慨に浸りたいだったわけで、そこを妥協したら意味無いじゃんと思う。僕がここに何を書こうがそんなの自分の勝手だし、それに「読んでくれている人を意識」とか言ってる時点でお前何様だよって話だ。
よくブログに「更新が滞っていてすみません」だの「更新のペースを保てません、ごめんなさい」だの書く人がいるけど、あんたはどの面下げて「みんながここを楽しく読んでる前提」にしてるんだと。たかがブログ、「書きたいことを勝手に書けばいい」の裏返しとして、「みんな読みたきゃ読むし、読みたくなきゃ読まない」ただそれだけじゃん。だから読み手どうこうじゃなくて、自分が思ってることをそのまんまただただ書いていけばいい。自分、大好き!


でもそれと同時に、やっぱウェブで上あれこれやってるってことは不可避的に「コミュニケーション」であるということなわけで、それを無視することはできない。最近は毎日100人近い人がここを見てくれていてそれだけでも鼻の下とキャン玉袋がゆるみっぱなし、ましてやコメントいただいたり思わぬところから「ブログ読んでます」なんて言われたりするともう身も心も愚息もまとめて昇天してしまう下衆な僕は、そういう喜びも手放したくないなあと、つい二兎を追ってしまう。自分、大好き!
上でボロクソ言っといて急に掌返すけど「更新が滞っていてすみません」って書いてしまうその気持ち、それは「読む読まないを決めるのは読み手」という大原則を無視している点でコミュニケーションとして「ズレて」いるんじゃないかという反省はあるにせよ、心情としてはものすっごくよくわかる。やっぱ読む人あってじゃない。たった一人でもいやさ実際にはゼロ人でも、可能性としてここを読んでくれている人がいるのならば「やあ、ここの更新を楽しみにしてくれているみんな、今日もありがとう!」っていうポーズでうそぶく姿勢(イメージとしてはミッチーのライブがすごく近い)は、他者が想定される場において何かをやる上での最低限のマナーだ。
話が大きくなりすぎる上に偉そうで自分で気持ち悪いんだけど、ブログに限らず「コミュニケーション」ってやはりどこかで「思い上がって」(=「勘違いして」)相手を「想定」しないとなりたたないもんな気がする。…ごめんわかってる、今日の自分、相当思い上がってる!このブログで笑ってほしいとか心がどうこうとか少しでも考えてる時点で片岡鶴太郎よりも調子こいてる!(まあ彼の場合もフミヤの場合も「勘違い」がそのまま商品価値になってるからすごいと思う)
とにかく今日のエントリ、いつも以上にキモい。本当にすみません!


…な感じで、書きたいことは好きに書きたいし、欲を言えば読んでくれている人に楽しんでほしい(人前で何かをやっている以上そう願うのは「義務」な)んだけど、やっぱそこに媚びるのも違う気がするし、みたいな堂々巡りの中結局どっちつかずでやっていこうと思った。まあ、今日書いている内容も既に「わざわざここに書かなくてもいいこと」なんだけど。あー、こういうこと考えてしかもそれをここに載っけてる自分が死ぬほどウザい。そしてそんな自分、せーの!大好きー!…すいません、無駄に一体感出したくて最後の最後まで調子こきました!