七夕さらさら、ひげボーボー

病院実習に行くとかバイトがあるとかそういう「外」との接触がないとついつい剃るのをサボってしまう。朝起きると明らかに昨日よりも一段グレードアップして生えてる。そう、ひげ。こいつらが伸びるのに費やされるエネルギーって何て無駄なんだろう。他のエネルギー(体を動かす、やる気を出す、税金として納める、資源問題を解決する etc.)に使えたらどれだけ僕の、いやさ人類の生産性が上がるだろうか。


僕はまだそんなでもないけど、ひげの濃い人。彼らは一体どれだけのエネルギーをひげに奪われているのかと思いを馳せるに、尊敬の念を禁じ得ない。彼らは言わば朝起きたその瞬間からひげにエネルギーを奪われた状態、人生という名のハンディキャップ・マッチを強いられているわけだ。しかもひげが濃いと剃るのも大変なのだからまさに二重苦、その苦労は想像するに余りある。ひげが濃いよりひげが恋。松嶋菜々子だったらそんな風に抱きしめてくれるかもしれない。
外人さんクラスになると体中毛がぼうぼうなのに、ひげどころか顔まで濃いのに訳が分からないくらいにエネルギッシュな人がいっぱいいるけど、それは人種差だからもうしょうがない。顔が濃いより顔が恋。毛を飼い慣らした民族として、素直に彼らを賞賛したい。


思えば子供の持つあの「どこから湧いてくるんだ!?」っていう無尽蔵のエネルギーも、ひげが無い、その他諸々の無駄な「毛」が無いことを考えれば当たり前なのかもしれない。今や現代社会を営む上で無用の長物である「毛」に使うエネルギーを日々の活動にまわせるのだ。
第二次性徴を迎えたあたりから人々は性の男女を問わず「ダルい」とか言い出すし、電車の中で疲れ果てて居眠りを始める。地べたに座り込むようになるし、文字を書くのもめんどくさいからワープロばっか使うようになる。総じて活力が足りなくなる。げに恐ろしきは「毛」「パワー。どれだけ俺らのエネルギーを吸い取ってるってんだ!そうそうそれと、元気を取り戻そうとして大人なのに「毛」を剃っちゃう人もいるけどそれはまさに本末転倒、別に意味ないから気を付けなくてはいけない。


そして僕は今日もめんどくさいからひげ剃らないで街へ出る。てなわけで今宵七夕の夜の願いは「ひげが無駄にのびたりしませんように」にしようと思う。