バリアフリーを考える

おっぱい。オー、ピー、ピー、エー、愛、おっぱい(oppai)。おっぱいは果たして誰のものなのだろう。と自分で問題提起をしておいて申し訳ないのだが考えるまでもない、おっぱいは無論「赤ちゃん」のものだ。厳密に言えば「赤ちゃん、そして昔は赤ちゃんだった全ての男たち」のものなんだけど、おっぱい a.k.a. 公共の福祉なんだけど、理念の上でそして何より「なかったら困る度」の上でおっぱいの基本的な所有権は、これを赤ちゃんに帰属すると考えるのが妥当と言えるだろう。人類の、そして哺乳類のめまいがするほどに長大な歩みの中で、赤ちゃんは常におっぱいを求めてきた。


さて、何を突然に、と思うむきもあるかもしれないが重力からの解放である。
人間は二足歩行によって両手を、そこに秘められた可能性を母なる大地から解き放ったわけだ。道具を作り、火を起こし、家を建て、そして愛する人と手をつないだ。鉛直方向の脊椎を支えにしてより大きな脳を獲得したし、他の動物にはできないやらしいことだってたくさんできるようになった。今日の人類がこれほどまでに栄華を極めていることはひとえにあの瞬間、「始めての二足歩行」のおかげだろう。


人類は直立歩行に際し大きな誤算に直面することになる。おっぱいが高すぎるのだ。はいはいするしかない赤ちゃんは、どうあがいても母親の胸の高さにあるおっぱいを吸うことができない。このままでは赤ちゃんは飢え死にしてしまう。人類に訪れた未曾有のピンチ。母親としてもまさか、何よりも大切な授かりものを餓死させるわけにはいかないから「授乳の時間」を作らざるをえない。ただでさえ家事が忙しくなおかつ赤ちゃんの世話に手間がかかって仕方ない上に、授乳の時間まで要求されたのでは身がもつはずもない。
それでも女性(と赤ちゃん)はその「不利」に耐え忍び今までやってきた。母は強し。まさに至言である。


しかし女性に我慢を強いているこの状況がいつまでも続いて良いわけはない。今まさにバリアフリーの世の中だし、それに現代の形成外科の技術をもってすればまあ、身体のどの位置にだっておっぱいを移し替えることができる。母親と赤ちゃん、双方にとって都合の悪い現在のおっぱいの位置について活発な議論を行っていくべき段階。人類はようやくそこに足を踏み入れようとしているのだ。世界人民よ、今こそ国際おっぱい憲章を高らかに謳い上げようではないか!
個人的にはスネにおっぱいがついていたらとても便利で良いと思う*1。赤ちゃんは吸いたいときに自由におっぱいが吸えるし、お母さんは家事やりながら赤ちゃんに勝手におっぱい吸わせておけばいいから手間要らずだ。それに弁慶の泣き所を保護できるから転んでも安心だし、何よりもスカートの下からおっぱいが見えるなんて何と素敵なことだろうか。女性用ジーンズのすねの高さあたりにパッチ的な感じで小窓がついてたりしているのも、楽しげでよい。今そこにあるチチ。悟飯、オラ何だかワクワクしてきたぞー!


…以上、現在のおっぱいが抱える問題点について考えてみました。mixiで「正しいおっぱいの場所を考える」コミュ作っちゃうかな。すごいいい感じで揺れてるおっぱいのgifとかトップ画像にして。
みなさんはどんな場所におっぱいがついていればいいと思いますか?また、どんなおっぱいが好きですか?(←疑問を投げかけて開かれたブログをアッピール!)

*1:ちなみに、先日の総会で元バイト先の主任にこの議題について伺いを立てたところ「膝におっぱいついてればニーパットにもなるし一石二鳥だ」という非常に画期的なパースペクティブを即座に提唱しておられた。なんと柔軟な発想力だろうか、それでこそまさに人の上に立つ人間である。