花火

見てきた。「第19回東京湾ゴジラ対大華火祭」に行ってきた。後輩が場所取りをしていた所にビール持って乱入という極めてガラの悪い横入りをした(ありがとうヨウイチ!)のだけれど、近場で見る花火がこんなに楽しいものだったとは!ずっと「おおー、おー、おぉー、お、お、おお〜!パチパチ←口半開きで拍手」の繰り返し。世界一のアホ面を引っさげていた自信がある。


テレホンカードの世界だと思っていた夢の国の光景が目の前に現実にあった。打ち上げられた花火がひゅーと音を立てながら黒い夜空に光の尾を引く様子はブラウン管の向こう側に見た戦争の光景と同じで、しかし、誰からも生命や個人の尊厳を「奪わない」という点で、いやむしろ観客全てにポジティブな何ものかを「与える」という点で圧倒的に異なっていた。言うまでもなく、火薬は戦争ではなく花火に使われなくてはならない。世界を動かすシステム(政治や経済その他全て)についてまるで無知である上そもそも戦争を体験したことのない僕が何を言っても、それは甘えと未熟から来る幼稚な言葉遊びとしてしか響かない。そのことは重々承知だけれど、それでもやはりそう祈りたい。「ならない」と敢えての断定をすることで、祈りに代えたい。


ゆっくりとしたペースから徐々に盛り上がるという基本周期の中に様々なバリエーションが用意されていて、左右のコンビネーションがアクセントを添えたり、同じテーマが後半で使われたり。うわものがメインのビートを鮮やかに彩ったり。何と言うか、花火はダンスミュージックに似ていると思った。共に祝祭のテンポであり、リズムだ。打ち上げ場所が近く、花火の破裂音が物理的な圧力として響いてきたのも最高だった。やはり祝祭は、身体でなければ感じられない。
花火師の技に思うがまま心を操られ最後の大サビ。このまま身体が溶けてしまうんじゃないか、そう思うくらいに脳から変な物質が出まくりだった。若干尿も漏れた(←さすがに嘘です)。ああ、このまま永遠に花火が打ち上がり続ければいいのに。そう思った矢先、全6ラウンド、1時間20分に渡るゴジラとの死闘を花火が制しゴジラは海へ帰っていった。まるで花火のように切れ味の良い祭りの幕切れだった。一抹の寂しさ胸に訪れつつ(それが祭りの終わり時の正しい作法!)空を見上げ続けて少し痛くなった首を戻すと、地上では女性の浴衣がまたたいていた。オー、ココハ天国デスネー。…祈りに代えたい。


【雑記】
・一番シンプルな色(ナトリウムの色のやつ)だけでドーンと上がるやつと、同じく一番シンプルな色だけでの乱れ打ちが一番きれいだと思った。
・迷子のアナウンスで「イタリアはミラノからお越しの〜」ってのがあったのには笑った。