シンパシーの射程距離

風呂上がりに最近覚えたばかりの2ch(にちゃんねる)をぼんやり閲覧していると、にわかにニュース速報版が騒がしい。そのまま速報版を眺めるにどうやらこれは本当に大事件のようで慌ててテレビをつける。ブラウン管の向こうにはどこかで見たことがあるようなないような高層ビルに突っ込む飛行機が、ビルの倒壊が、逃げまどう人々が幾度となく繰り返されていた。神妙な顔をした久米宏(であったと記憶している)がかの国にもたらされた目を覆わんばかりの惨劇について淡々と、しかし熱のこもった様子で伝えていた。


今、信じられないことが起きている。はたしてこれは現実なのだろうか。
テレビに映し出される光景がまるで信じられず、犠牲となった人々の、残された人々のことを思い訳もなく身震いが起きた。悲しみとも怒りともつかぬ感情のうねりが身を包んだ。決してあってはならない悲劇。そう、これは決して他人事ではない。


そのような所感をコメンテーター達が述べ、同様のステイトメントを友人達が口々に表明する中、僕はただとまどうばかりだった。正直どれだけ頑張っても、被害にあった人に対して「かわいそう」程度の感情しか湧いてこない。3000人を超す人が命を失ったことは確かにこの上なく痛ましいことだ。でも、本当に悲しいことに、それらは僕の内面にほんの少しだけしか響かない、大した跡を残さない。


どうやら、彼らに降りかかった巨大な悪夢はしかし僕のシンパシーの射程距離を、現実味の根拠を遥かに逸脱/超越した場所で起こった出来事であるらしいのだ。彼らの死は僕にとって、こんな言葉を使う自分に失望を禁じ得ないのだけれど、やはりどうしても「他人事」の域を出ない。9.11は決して対岸の火事ではないと世間が言うとき、理屈を経由することでしか僕はその意味を理解できない。皮膚感覚として上手にそれを感じることができない。


世界を揺るがしたこの未曾有の惨事が孕む政治的・経済的な意味、宗教上の問題点、正義の相対性。今後世界が対峙していかねばならぬ課題の数々。それらを理屈の上で理解することはできる。レポートにして単位をもらうことはできる。しかし、「人の命はかけがえなく重いものだから」という理屈、あるいは「もしあの事件に巻き込まれたのが僕の知り合いであったとしたら」なる仮定法を介することなしには何千という人々の死ですら、僕の心は統計上の数値として処理してしまう…。
僕が20年の来し方を費やし学んできた諸々は、結局上っ面の知識でしかないのだろうか。シンパシーに射程距離があるとして、どうすればその領域を広げられるのだろうか。視野を遠く保ち共感の羽を広げ遠い他者を愛することで、9.11は、世界は表情を変えるのだろうか。


2001年、僕はそんなようなことを考えていた。


あれから5年。あの頃の自分よりはほんの少しだけれど、経験を積み、あれこれ悩んだ。「世界」とはかけがえのない他人たちがが作るネットワークであることが、自分もその大きな有機体の一部であることが、おぼろげながら見えてきた。各人が固有の肉体をもち、この世に「物体」として存在していることに、今までの価値観がひっくり返るほどの驚きをおぼえた。言葉というツールで複雑極まりないこの世界をリニアに再現しようとすることに宿る、圧倒的な絶望とかすかな希望を学んだ。
この5年間で9.11がほんの少し近づいた気もするし、ますます遠ざかってしまった気もする。少なくとも、2001年とはあの事件の見え方が大きく変わっている。


足りない。まだまだ圧倒的に足りない。思いやり、シンパシー、想像力。言葉は何でも良いが、そういった直接の経験と間接の経験を隔て接続する何ものか、世界とのつながりや他者への共感を保証する何ものか。知識が足りず経験が足りずそれらをつかむことなどまるで出来ていないけれど、上記9.11への思いに見るように冷めて乾いた感受性を根本の部分に抱えてしまった僕にとってそれは過ぎた夢物語なのかもしれないけれど、それでも諦めることはしてはならないし、したくない。


5年前と今、僕が考えることの基本的な方向性は何も変わっておらず、その成長のなさに軽いショックも覚えたけれど、でも、もう少しこのまま進んでみようかと思った。5年後にはまるで違う方向を向いているのかもしれない。向いていないかもしれない。どちらがいいのかは、わからない。