I'm lovin' it

定義を手に入れたものは強いというか、「定義である」という事実がそのまま価値になるというか。
例えばマックフライポテト。僕はマクドナルドのあれがファーストフードもののポテトフライで圧倒的に大好きだ。塩味、油臭さ、冷めたときのしなしな感全ての要素がジャンクフードとして完璧、マックの前にポテトはなくマックの後ろにポテトができると言える。モスだケンタッキーだの取るに足らず、ましてファッキンだかロッテリアだか知らないが「しゃかしゃかポテト」など世の中から消えてなくなれば良いとすら思う。隣の人のイヤホンからもれるシャカシャカ音も鬱陶しいことこの上なく、もうあれだ、やはり世の中からお釈迦様以外の「しゃか」はなくすべきだろう。非シャカ三原則(シャカらない・シャカらせない・みだりに社歌を歌わない)の採択が待たれる昨今である。NO MORE SHAKA-SHAKA!


閑話休題、マックフライポテト略してマッポの美味しさは「ジャンクフードとはこういうもの」という「定義」を背負っている気がするのだ。マック以外のポテトを食べたときの「まあこれも悪くないよね」「ここのポテトも結構美味しいな」のゼロ点として、多くの日本人(世界中の人たち?)の頭の中では常にマッポ略してマポが参照されているのではなかろうか。少なくとも僕の頭の中ではそうだ。数あるジャンクフーズにあって王道中の王道と言えばやはりマクドナルドなのであり、それは「ジャンクかくあるべし」という「正しさ」ですらあるのかもしれない。ポが本当に一番美味しいかどうか、それはもはや問題ではなくて「定義なんだからそれが一番美味いんだろ」の世界にマクドナルドは足を踏みいれている。と言うのは言い過ぎだろうか。パラッパッパッパー、It's 反語だ。


単純に美味しかったことが圧倒的なシェアとなりマックが「定義」となったのか、はたまた圧倒的なシェアを勝ち得「定義化」された味に飼い馴らされたが僕たち(僕)がそれを美味しさと呼ぶようになったのかはわからないし一概に言いきれるものではもちろんないけれど、とにかく定義は強いなあ。定義ってだけで良いものだと思えてくるからなあ。そう思った次第。
吉野屋やiTunes/IPodにも同じことが言えるかもしれない。吉野家豚丼・牛丼はやはり圧勝で美味しいし(ここに異論を挟む人はもうダメ!)、iTunes/IPodも使いやすさ、デザインの面で最も優れているという感がある。でもそれは「定義化しているという事実にだまされているだけ」なのかもしれず、でもまあ騙されているのって気持ちいいからそれでいいや。大企業バンザイ。パラッパッパッパー、I'm lovin it!!