the last train

終電で帰らなくてはならない。シュウデンデカエラナクテハナラナイ。なんとも懐かしい響きだ。本郷での4年半にわたる一人暮らしの結果、終電という概念が驚くほどなあなあになってしまった私にとって、厚木に帰るために11時55分新宿発の本厚木行きに乗るという行為のなつかしさ、そしてある種の新鮮さは、こそばゆくもいっそ誇らしげであるかのこころもちを私に与えてくれる。
本心ではもっともっと飲んでいたいのだけれど終電にそれをこばまれたとき、うれしい皮肉というか、残念の中きらりとひかる「なんかこういうのも新鮮だなあ」がそこにはある。世に言う、箱入り娘のジレンマというやつだ。どこだそんなことを言っている世は。


断言しても良いけれど、この生活が1週間続いたら私は発狂する。終電を気にしないという自由をいちど手に入れた身に、その足かせは酷が過ぎ、ふと気がつけばゴータマ・シッダールダのいきおいで家を飛び出していることだろう。都合の良いことに4月2日からは古代裸でひとり暮らしを始める手はず、いわばこれは、期限を定められた不自由ゲームなのであって臆しストレスを感じるには足らぬ「終電プレイ」なわけだ。


今日は同級生T島、そして駒場クラス時代の同クラで4月からは外資マネーを財布にひそませる男ISO村とドイツのビールを飲んだ。懐かしかったし、ホント楽しかった。いいクラスにいたんだな。このまま永遠に飲み続けたいな。そう思いながら乗る終電は、どこかほこらしくてどこかやるせなかった。