一人称のつれづれに

俺が俺らしく生きるために、今の俺に欠けているものって何なのだろう。


冒頭から青くさいセリフに辟易された方も多いだろうか。
俺。ブログでは「私」や「僕」などの一人称を用いるけれど、日頃の生活におけるフランクな場、気のおけない空間においてはやはり「俺」だ。ジェンダーアピールの点でも気取らなさの演出にすぐれる点でも使い勝手の非常に高い呼称だろう。


ただ「俺」に足りないもの、それは気位というかオトナの落ち着きというか、そういう類のもので、それを解消するには「ヨハン・セバスチャン・俺」しかないなと。これならあふれ出るバロックの気品が「俺」の粗削り感をみごとにカバーだ。
さらにこれを「ヨハン・俺スチャン・バッハ」とすることで音のきもち良さがグッと増す。ならばいっそ「オカン・俺スチャン・バッハ」いやさ「オカン・俺スチャン・ときどきオトン・バッハ」にすれば、昔はヤンチャだった俺も親のありがたみが身にしみる年になったよ的な落ち着きすら込められる。


オカン・俺スチャン・ときどきオトン・バッハがオカン・俺スチャン・ときどきオトン・バッハらしく生きるために、今のオカン・俺スチャン・ときどきオトン・バッハに欠けているものって何なのだろう。


冒頭の自問自答もぐっと成熟の魅力を増したと言える。うーむ、めんどくせえ。