love me, i love you

チーフコンプレイント、インジャパニーズ、シュソ。主訴。これは患者さんがもっとも困っている、つらいと感じている症状のことをさす。頭痛や嘔気ときに悪寒、ときどきオトン。いやオカンはまだしも「主訴=オトン」はさすがに経験していないが、体の右半分だけが燃えるように熱い、四六時中だれかにつけ回されているといった、難しすぎる「主訴」を経験することもしばしばだ。


とある当直の夜、晩夏と初秋の狭間にひそむ宵闇をぬって急性アルコール中毒の患者が訪れた。未成年。ハイティーン。いきおいにまかせた酒に溺れるには充分な年頃。本日はどうなさいました?深い酩酊状態にあったかに見えた彼だがこちらからの問いかけにかろうじで答える。もっと愛して!お願いだから愛して!
開口一番のラブミープリーズ、「主訴=愛されたい」の来院である。愛して!愛していて!


愛せない。ゲロまみれ泥だらけ、未だニキビの残り香強い十代♂。愛せない。人がこれを愛と呼ぶのなら、私は百世の未来にわたり愛情の二文字に疑念を抱き続けなければならない。


たとえばaikoのギターがどうにもひと世代古い理由。それは「ギターへのうとさ」が、否応なく女子としての「隙」をアピールするからだろう。官能とがっかりの奇跡のバランス。「隙」は「好き」に通じ、隙すなわち好きを見せた彼女へ対する私の熱情は、時としてますます高まる。愛することはさらけだすこと。あるがままの隙を見せ胸襟を開き、自身の弱点を代え難いチャームへ昇華するために万全なる化粧をほどこす。叶うかぎりに着飾った弱点でおずおずと、けれど我が身の全てを投じて相手を迎え入れる。それこそが愛だ。
しかしどうだろう、目の前の少年の繰り出す「隙」には一部のデコレーションもない。あるがまま、ありてあるもの、といった風情の胃液臭でそこに倒れ込んでいる。愛して!お願いだから愛して!いや、どう考えても愛せない。


思えば私も運ばれた。長野の病院に、都内のクリニックに、救急車で。
目の前にいるこの少年はどう考えても愛せない。しかしあの時の自分は、目の前のpatientよりはるかに残念な酩酊状態であったに違いないにもかかわらず、どうにも愛らしい。急性アル中で倒れた個々人を愛することはできなくとも、「若気のいたり」という壮大に過ぎる「隙」を愛することは許されるのではないだろうか。
在りし日を思い出し反省するがゆえに、愛するがゆえに患者さんに強く出られないでいる私に看護師さんが一言。急性アル中にあんなに甘いの先生だけですよ??…何も言えなくて、9月。


とにかく思うことはひとつ。倒れたあのときの関係者各位、今でも記憶を失いまくってご迷惑をかけてばかりのみな様、本当にごめんなさい。倒れた回数分は患者さんの力になりたいと思います。あの時は心から、ありがとうございました、そしてすみませんでした。