血筋

去年末の私の目に余るごんたくれ振り、そのなんたるかをご理解いただくにはひとつ話をさかのぼる必要がある。つまりマモルの話から始めなければならない。
マモルは亭主だ。亭主であり三児の父だ。あるとき彼は息子であったし、孫でもあった。未来には祖父になるかもしれない。主として血のつながりで位置づけられる人間の営み、すなわち家族という概念に照らすならば、彼は私の父親である。


えいやと勤務先に辞表をつきつけ、銀行からはどっさりと借金をこさえ、小学校3年生を筆頭とする息子たちに休学を命じては家族5名総出でヨーロッパ周遊3ヶ月の旅に出かけてみせた極めて奔放な男、それがマモルだ。欧州名物労働ストライキにばったり遭遇、無理矢理ぶらり途中下車させられスペインの国境にほど近い小駅で過ごしたフランス式大晦日の味はそう忘れられるものではない。財布の入ったポッケを下にして寝なさい。日本を暮らす上でこれ以上なく役に立たない、立つわけのない教えを受けたのもその時だった。


野良犬にも似た独特の縄張り意識なのか、尿に関してもマモルは一風変わった感性をもっていた。小学校へと続く、我が通い慣れた歩道橋の上から実の父親が放尿をしている姿をあなたはどう思うだろうか。小学生だった私の胸はワクワクでいっぱいになり、同じく地上へ向けて虹をかけた。雪道に黄を添えるよろこびも、彼から教わったものだ。


懐かしの実家、息子たちの部屋には洗濯物を入れるために用意されたプラスチック製で薄緑色のカゴ。母親が洗ってくれた衣類はそのカゴに積まれ、それらを箪笥にしまうのは息子たちの仕事だった。
あれは冬の晩だっただろうか、あの日、目が覚めるとそこにオアシスがあった。床には100ml強のの液体が、その表面張力を遺憾なく発揮しながらひとかたまりになって、朝日をきらきらと反射していた。酔ったマモルが深夜にもぞもぞと起き出し、私の部屋のカゴにありったけの放尿をしたのだ。カゴの洗濯物と床は尿にまみれ、目を覚ました私は家族から事情を聴取。ビショビショの状況証拠、マモルの見せた昨晩の酩酊と合わせ、事態を飲み込むのにそう時間はかからなかった。かばいようのないくらいにどうしようもない男だ。思春期の私は「こうはなるまい」と固く固く、箱買いの勢いでアンチ・マモルを貫く決意をしたのだった。


以上がマモルの話だ。つまり話をひとつさかのぼり終わったことになる。次回は息子の、私の話をしようと思う。乞うご期待!ウソウソ、恥ずかしくて下品なこと、というか汚物の話しか書かないから読まないで!