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昨日タワーレコードをぶらついていたら発見!日本を生きる数少ないホンモノのアーティスト、堂本剛がDVDを出していた。

「薬師寺」 / 堂本剛 初回盤 【DVD+CD】

「薬師寺」 / 堂本剛 初回盤 【DVD+CD】

創建1300年を過ぎ、今もその姿を奈良にとどめる「世界遺産 薬師寺」へと30歳という節目を迎えた堂本剛が引き寄せられた。
その歴史に息づくメッセージを全身で感じながら言霊、音霊を生み出した珠玉のステージが遂に映像化。(Amazonの商品ページより)

多分アーティストってのは生き方を指す言葉だ。表現に向かう、内的/外的な必然性からそこへ向かわなくてはいけない人。作品のクオリティがどうだとか商業的に成功するかであるとか、それらはアーティスト本義ではない。何かを産み出そうとする運動性そのものがエンドリケ、ではなくて「アート」なのでありその意味で堂本剛は十分にアーティストなのだと思う。

作品を見ずにこんなことを言うのもアレだけれど、我らが剛くんのアートへのこだわりや実存への苦悩や俺の歩いた道筋が既にアートだぜくらいの矜持がおそらくは存分に発揮された、非常にデリケートな問題なのでここは十分に言葉を選ばなくてはならないが、「あっち方面に気の利いたおクスリ」のようなステージなんだろう。
その世界観に共感を覚える人は一定数いるだろうし生活に趣味であり喜びがあるのはステキなことだ。ただ彼の場合、これは単なる邪推に過ぎないかもしれないが「アイドル堂本剛のファンでではある。でも、アーティスト堂本剛は正直しんどい…」というファンが一定数いるのではないかしら。 エンドリケリエンドリケリ、美我空、ベルリン、薬師寺。彼をめぐるオモシロ・ワードを振り返るにつけそんな気がしてならない。

そういう「引き裂かれた」ファンたちにとって今回のDVDであり、彼のその他の活動を追う行為はある種の「チキンレース」なんじゃないのか。ファンとしての経済活動(グッズの購入、コンサート参加)をどこまで続けるのかあるいは他のファンに先んじて消費活動にピリオドを打つのか。
おそらく剛くんはこれからもアーティストとして孤高のいただきを目指し続けるだろう。周囲の凡人からすれば心情的にもっともっと「理解の届かない」場所へ、それが「アーティスト」の定義であるからして彼は向かう。その時に「これはもうキツイ…付いていけない」「でもそんな剛くんが好きだから…」とアンビバレンツにやられながら崖っぷちまで止まるに止まれぬ、自分とのそして周りとの奇妙な心理戦。

結論。現代における真の「アーティスト」は堂本剛、ファン活動はチキンレース
(ファンの人からすげー怒られそうだな…)