あの娘に1ミリでもちょっかいかけたら殺す。

OSCEの勉強しなくちゃいけないのに、全然やる気でない。
おいそこの自分、もうぎりぎり間に合わなくなってからことを始める病気はいつ治るの治すの?
治りませーん。
って治りませんじゃないよー!
ってことで治りません。

最近。っていうか昨日今日。
いいです!
銀杏BOYSのアルバムいいです!

君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命

2枚ともいいけど、君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命がもう最高です。
そうそう、中学生は「もしも君がモーニング娘。にスカウトされたらどうしよう」とか、「もしもきみがいなかったら僕は登校拒否になる」って思いながら暮らさなきゃいかんのよ。
そういう「語られる青春時代」といいますか、伊集院光用語で言う「中2病」といいますか、とにかくそこら辺にまつわる妄想だけが膨らむ世界。いい。「DT」ってのもそれですな。ってこれも伊集院(と三浦じゅん)だー。
現在進行形の青春時代というものは実は存在なんてしなくって、青春時代。それはいつだって振り返ったその場所に措定されるしかない、後ろ向きなものなのかもしれない。「青春」というネバーランドを巡る言説は常に青春時代を終えた人間たちの専売特許だった。
年をとるごとにそういう、青春の物語が大好きになっていきます。多分どんどん自分がそういう「青春時代」から遠ざかって言ってるからなんだろうなあ。4年前だと痛すぎて聞けなかった(か、ひょっとしたら「これは俺のことだ!」っていってはまり込むかだった)のに、今やその、語られる青春時代の中心地は遙か彼方。
銀杏の峯田はとっくに青春時代を終えた人間なのに(じゃなきゃ青春を言語化なんてできるわけない),身をよじって血がにじむような言葉を吐いて実際にステージ上で大怪我をしながら,何が何でも中心地から青春を語ろうとする。そこが素晴らしいし,何よりも,その峯田の行為の一つ一つが,とんでもない強度を持った表現として成立しているのが奇跡的だ。かっけーよ峯田。アイデンアンドティティだよ!