甘い甘いものです。イェイ!

あ〜、ワープロ楽し〜〜〜!!!ついでに大塚愛
だれも読まなくてもいいんです。イェイ!

下に書いた青春時代的な言説を生み出す名手として大塚愛はすごいと思うし、銀杏の峯田と好対照で面白いと思う。すでに大人になってしまった立場から語るでしょ。大塚愛は。少女の夢をきっちーんと受けとめた上で新しい夢を生産し、少女たちに提供していってるシンガーソングライター大塚愛さん。
いつだったか忘れたけど、ってっても去年末だけど近田春夫が『考えるヒット』で、「大塚愛の『大好きだよ』は、非処女の人が振り返って夢見る処女性へのメルヘンだ」という趣旨のすばらしすぎる評論をしていた。確かに大塚愛は女の子たちに、非処女の立場からきちんと処女性の夢・メルヘンを提供し続けていると思う。大好きだよ。は超イイ。疑いない。
大好きだよ,に限らず大塚愛が呈示するファンタジーの世界。その夢の光景は,青春時代というか「花開く少女時代(by 村岡花子)」を過ぎ去った人たちにも大きな支持を得ているんだろうけど、何がすごいってそのメルヘンを誰よりも真摯に受け止めているのが、まさに肉体的な部分に限らず処女性を失わない(現に処女である?)少女たちだってことでしょう。
と偉そうに書いたけど全然違ったらまあごめんよ。女の人の気持ちなんてわかんないっす。
でもとにかくさあ、大塚愛は、街中にあふれる少女/処女たちが放つ(放つとされる)欲望をきちんとキャッチして、新たな少女性/処女性への言説を編み続けている。
歌詞をそのまんま引用してみよー。

なんだか あなたのコト 思い出すのもったいないよ
あたしだけのものにしておきたいから
なんだか あなたのコト 思い出すのヤだよ
だって 1人でにやけて はずかしいよ

うわ,歌詞だけみるとすごいね。
これって、今まさに少女時代の中を生きる少女たちが実際に感じていることなんかじゃないありえない。何かを語るにはその何かを対象化・相対化する必要があって、上のような歌詞を紡ぎ得るのは少女時代を通過した人だけだもん。でも多分勘違いが起こるんだよね。「恋をしたらこう思わなくちゃいけない」この曲を聴いた少女達はそういうふうに教育されていく。大人達が望むというか夢見るようなそんな「あの頃」を生きるために,外面的にも内面的にも様々な規範を身につけていく少女たち。
という視点で見ると大塚愛はばっりばりの大人の女性で、そこが銀杏は峯田との大きな違いなのかなあと。
成熟の指標としてとりあえず処女・童貞=未成熟という図式を置くけれど、大塚愛が現実の世界の中で大人の非処女の立場からメルヘンを歌うのに対し、峯田はやっぱり童貞の立場からメルヘンを歌ってる気がする。誰もがそこで過ごした「はず」のネバーランドに対して、「ほら、あそおこにネバーランドがあるよ」っていうスタンスと「ほら、ここがネバーランドだよ」っていうスタンスは全然違う。大塚愛の歌う世界はメルヘンの世界のきれいな部分を描くことが多い(気がする)のに対して、峯田の歌うメルヘンの世界は、およそメルヘンとは縁遠いようなどろどろした欲望まみれの世界ですわ。この違いも、メルヘンの国を遠くから見ているか、国の内部に身を投じているかという両者の根本的な立ち位置の違いからくるんじゃなかろうか。動物園の動物と一緒で、どんな夢の世界も、近づけば近づくほどに汚い気持ち悪い部分がいっぱい見えてくる。
まあ、こういう違いってのが、そもそも処女と童貞の意味合いが違うっていう理由で生じている可能性はある、っていうか間違いなくそこら辺の相違が関連してるんだろうけど。銀杏とアジカンで比較して考えてたらもっとクリアに銀杏の特異性が浮かび上がったのかもしれない。
そして段々書いてて意味がわかんなくなってきたうわーん。
酔ってるからもあるけど酔ってなくても文章力と頭が足りんうわーん。

いやー、ワープロ楽しい。
っていうか、何よりいいたい。
こんなん書いてる間にOSCEやれや自分よ。
おやすみなさい。