風が吹けば

あと、風が吹いてスカートがめくれることについて。
この前の日曜日、夜の土砂降りの気配なんて少しも感じさせない、気持ちのよい昼下がり。ほんの少し秋のにおいを感じさせる、やわらかくてやさしい風が吹いてみんなのほほをなでて思わずうっとりいい気持ち、そんな風が吹いた。ふぁーって。
スカートがめくれる。風が吹くんだからこれはもう摂理。風が吹けば桶屋が儲かる、そんな当たり前の事実の100倍くらいわかりやすいネイチャーロウ。で、目の前のスカートがめくれるんだから、そりゃあ特別な条件がなければついついぱっと目が行っちゃう、と。これまた摂理、否定の仕様がない。


この状況で何が腹立つって、その後起こった表情でふり返ったそこ!そう、そこのあなた!何でもってふり返って俺が起こり気味の表情を向けられなきゃならないのかと。


悪いのはどう考えてもスカートだ。「あー、風が気持ちいいな、太陽はきもちいし、ちょっとめくれあがりたくなっちゃったな、俺はスカートだから衣類としての職務を全うしなくちゃいけないけどちょっとくらい。ちょっとくらいだったら大丈夫だよね?うん大丈夫!めくれあがっちゃえ!」そんな浮かれ気分になったスカートがそもそも悪い。「衣類である」というスカート自身の本分を忘れ、奔放な一時の快楽に身をゆだねて着の身着のまま風まかせにめくれあがったんだからスカートに言い訳の余地はない。ユーアーギルティ、オッケー?
それでもまあ僕は十分に大人だからブラックで飲める通り越して「コーヒーはちょっと砂糖を足した方が絶対的に美味い」って堂々と主張できるレベル、言わば解脱の境地に達した入念な大人だから、スカート自身に憤りを感じたりはしない。電車で泣き叫ぶ子どもを見てその子ども自体にネガティブな感情をもったりはしないのと同じこと、スカートのすることにいちいち目くじらなんか立ててたら僕の大人株が下落するだけだ。
むしろ僕が本当の意味で責任を求めたいのは、そのスカートの管理者、つまりスカートはいてる人の方、そっちだ。自分の監督下にあるはずのスカートが欲望に負けてめくれあがったその事実は、そのままその人の管理責任じゃないかと。ね、あなたが保護者なんですよ?


例えばめくれたスカートが周囲に「悪い気分」を催させた場合、そのネガティブな感情の原因が安易な快楽に身をまかせたスカートにあったとしても、スカート管理義務を負う管理者がその責任を負わなくてはならない。「この度はうちのスカートがやんちゃしてしまい、本当にすみませんでした」と思い、言葉で謝ることはしなくてもせめて「申し訳なさそうな顔」くらいはしてもいいだろう。そして家に帰ってゆっくりとスカートに諭せばよい。人前ではむやみにめくれるものではないのだと。
話は一方、めくれたスカートが周囲に「良い気分」を催させた場合。このケースにおいて管理者はスカートを心から誇らしく思うべきだ。「うちの子どもが失礼をいたしまして…」とうそぶきながらも自分の子どもが周りを良い気分にさせたという事実に微笑みを隠しきれない、そんな親バカライクな態度こそがきちんと正しい。「どこ見てんのよ〜っ!!」てな青木さやかリアクションじゃないよ、あなたがとるべきは。いやむしろ、「周りの人を幸せにするなんて、よくやったわ〜スカートちゃん!だーしゃーしゃしゃー。」と、ムツゴロウもかくやのやり口でスカートをほめて育てることこそが肝要だ。褒めることができなくて、一体全体何の教育だと言うつもりなのだろうか。ほめるからこそ次が生まれるんだ。


以上、結論。
風が吹いてスカートがめくれたら、その保護者責任者は周りの人に申し訳なさそうにするか、自慢げな照れ笑いをすべきだ。そして家に帰ってからじっくりとスカートを時に叱り、時にほめればいい。いや、基本的にはやっぱりほめそやしまくればいい。


ここを読まれる女性の方は今後ぜひ気をつけてあげてください。スカートの健全な精神発達は、あなたのさじ加減にゆだねられているのです。