バースデイ

2月の5日に二人。6日に一人。連続で三人の知り合いが誕生日(おめでとう!)で、しかも5日生まれの二人は同じバイト先の知り合いだし6日生まれの人の名前は色々あってややこしいしで、どうにもこうにも「2月5日」って自分の中で「お誕生日の日」なんだな。


さてそんなわけで2月のこの日付あたりはどうしても年をとるとか年月を重ねるとか、そういうことをつらつら考えてしまうわけだけど結論はやっぱり時間だ。時間だよ。時間!「時間が解決してくれることがある」じゃなくて「時間が経たないとどうにもならないこと、理解できないことがある」っていう。最近それをすごく感じる。どれだけ博覧強記にあらゆる媒体から知識を得ていても、どれだけ頭の回転が速くて色んなことを考えられたとしても、ある種の感覚や感性を身につけるにはどうしても「時間」が必要だったりする。それは同じ経験/体験を経れば身に付くってもんでもなくて、上手く言えないけどやっぱ、括弧付きで「時間」と言う他ない(僕に「時間」を他のやり方で表現する能力がない)サムシングを要するのだ。もちろん、身につけるって事は失うってことだからそれはものすごく怖いことだけど、とにかく「時間」が様々な感情や感覚や感性や、そういったものの重要な鍵を握っていることは間違いなさそうだ。


今書いたようなことって大人からの説教、本、その他もろもろで欠伸と一緒に出た涙が海になるくらい何度も何度も目に耳にしてきたことだし、中学生・高校生の頃の自分なんか「そういう「時間」とか「経験」に基づいた「お前にもいつかは分かるよ」を言う奴ほどバカでどうしようもない奴はいない!かみ砕いた理屈で説明して筋が通ってたらみんな理解できるだろ!このアホが!」とか思ってたけど、間違いなくアホなのはあの頃の僕だ。まあ、そういう「お前もいつかわかるよ」ってどれだけ筋道立てて伝えようとしても理屈どうこうじゃなくてその場その時には絶対伝わんないものだから、あの頃こじらせてたバカもあれはあれでしょうがなかったんじゃないのって気もするけど。


「時間」でしか身に付かないものがある。そのことが体にしょわーっと染みこみ始めたのってここ1年、2年のことで、つまり今のこの感覚自体が「時間」ものなんだよなあきっと。あー、ただただ不思議だ。ふしぎ、大好き!浅倉、大介!ネイキッド、デザイヤー!