定期演奏会

所属するオーケストラサークルの定期演奏会だった。
写真は会場の近くにあった尺八教室の看板(電話番号は自己検閲)。尺八を教授してくれるって。エロい!アメイジング・グレイスが流れ始めて「ただ今よりー、尺八教授の総回診です」的なアナウンスがあるのかもしれない。あるわけがない。


さて演奏は、相変わらず「何でだか本番だけ(今までよりは)上手い」感じで、うちのサークルっぽくてとてもよかったと思う。僕はドボルザーク交響曲8番(ドボ8)ってのに乗ったんだけど、とにかく弾いてる間中楽しくてしょうがなかったな。オーケストラは楽しいなあ。毎回が毎回、今回限りのメンバーで半年かけて1曲やって。マジ楽しいなあ。あ、蛇足だけどドボ8に尺八は使用されない。韻を踏めばいいってもんじゃない。


大学生のやるサークルなので、演奏会ごとに「今回で演奏はおしまい」の人がかなりいる。1年生や2年生の頃はそれが悲しくて寂しくてやるせなくて仕方なかったけど、年を経るにつけ「そっかー、残念だけどしょうがないな」な感覚だ。僕も年をとったということか。
あるいは今までと変わらずこれからも頻回に会う人だっているだろうし、逆にこれから二度と会わない人もいるかもしれない。会わない人がいるなんて本当に悲しいけど、やっぱりそんなもんだ。それでも、会う/会わないが今後どうであろうと「今日、この日」に同じ演奏会を作ったのはまぎれもない事実で、その事実があるならばいつだって僕らの人生は繋がっている。目に見えない有機的なネットワーク、それとは気づかない相互作用のネットワーク。こういうことを言うとアホかって思われるかもしれないけど、おそらくそれは「愛情」と呼ばれる類のものだ。泣いたり笑ったり、ご飯を炊いたり洗濯物を干したり、ふと昔のことを思い出してみたり。目には見えない形で身を包む「愛情」という名のネットワークが、生きることにまつわる全てを確かに彩っている。ような気がする。


話が大きくなり過ぎた。とにかく言いたいことは、今回の演奏会でお別れの人、あなた方がいなくなってしまうのは本当に悲しいけれど今後もどこかでお会いしましょう。会えなくても僕の人生に、あなたからの代え得ぬ影響を変わらず与え続けて下さい。今までもこれからも本当にありがとう。ってそういうことだ。本当に、ありがとう。
(そして、今後も乗る人はあと半年間よろしくお願いします。)


わかってる。そういう考え方っていうのは達観しすぎというか一つ一つの具体的な「お別れ」の物語を捨象しているからこその発想だってことはわかってる。密だったり粗だったり、手の及ぶ限りの一人一人と心で(大袈裟に言うなれば魂の部分で)接してきていたらきっと「それでも人生は繋がってるんだアハハ〜」みたいな、上辺だけは聞こえの良い道徳の時間、「それでも」を上手に使うためだけの言葉遊びなんて出来ないのだろうと思う。


まあ結局いつも同じ結論になるんだけど要はバランスってことなんだな。個別の関係性、自分を形作ってきた関係性の総体、自分が他者に与えてきた影響の総体、それぞれを大切にして適切なバランスで心を投じればいい。時には具体的な一つの関係に熱狂し、時には醒めた目で今までのあり方を反省すればいい。そして常に、根拠のない「愛情」というネットワークを、それに自分が包まれていることをただただ信じれ続ければいい。
いやあ、定期演奏会にしてこんなことを思うなんてなあ。ちょっと前までは個別の「お別れ」が悲しくて、それだけで胸がいっぱいいぱいだったのに、年月はげに恐ろしい(そして愛おしい)。もういい年だしな。尺八でも習い始める時期なのかもしれない。