12月っておいおい

シワスだ。シーワッスハイスクールだ。年をとると月日の経つのがうんたらかんたらとはよく言ったもので生まれて死ぬまであっちゅー間、季節の巡るスピードはここ数年とみに速い。これからもどんどんと速くなっていくのだろう。一月からまさに瞬く間、韓国でウンコをもらし泣きながら帰国したことなどまるで昨日のことのようだ。今すぐにでも忘れたい過去だというのに未だ昨日とは、まったく困ったものだ。病名など何一つ覚えられないにも関わらずそんなことだけは忘れられない自分の脳が憎い。


思い出に残るような一日、イベントが年々減っていっている。ような気がする。やらなくてはならないことに追われ効率の良い生活を心がけ始めるとどうだろう、精神は見るも無惨に貧しくなっていくではないか。次々に訪れるノルマを達成していくことに夢中になりつい油断し、あれこれ思い悩む時間を確保し忘れると、もう笑うしかないくらいに、kiroroの歌う方の人ばりの満面さで笑うしかないくらいに、毎日にコクがなくなる。


時間は作るものなのだから上手くやりくりして遊ぶ時間を捻出すればよい。その説ごもっともであるし現に僕もそんなことではいかん!と日々の合間を縫ってあれこれ遊んではみるのだけれど、それは、なんだろう、「記号化された」遊びであるというか、「ノルマとしての」遊びというか。自分の頭の中で「今は集中して遊ぶ時間!」「今俺はきっちり遊んでるぞ、仕事人間じゃないぞ」と、不断に遊びを遊びとして意味づけていなくてはならず、それは心身をリフレッシュさせ活動の生産性を上げる「大人の」遊びではあるのかもしれないけれど、決して自身の心の養分となり魅力的な魂を醸す類のものではない。ましてや砂に書いたラブレターではないしkiroroのピアノの方でもない。いやそれは初めから分かっている。
仕事(勉強)バリバリ趣味も多彩、みたいな人で言うことの面白い(interesting)人なんてお目にかかったことがないからな。生産性、効率。これらの言葉から可能な限り自由でありたい。(上手く言えないし矛盾するけれど、その方が僕の中での「生産性」「効率」が高い気がするのだ。)


来年から働きだしたら「時間は無いなりにやりくりして、集中して遊ぶ時間を作ってるよ。だから仕事だけじゃなくてプライベートでもどんどん成長できてるよ心が豊かになってるよ」みたいな人には絶対にならないようにしよう。なんとなくそんなことを思った。それなら一銭の特にもならない酔いつぶれで時間を無駄にしていた方がまだマシだ。
まあそもそも遊ぶ時間なんて全く作れないかもしれないし、それ以前に卒業試験を無事に終えないとどうにもならん。誰か産婦人科か精神科から小児科に4点わける方法を教えてください。精神科35問と小児科50問で点数同じってどういうことか。結論。生産性と効率は大切。