私の頭の中の大沢誉志幸

ないだろうか、そういうことは。


どんな科目・学科であれ「問題集」なるものを解いていると、自分の中にある知識の中であれこれ理屈を付け解答を導き出したは良いが結果それは誤答であった、という時がままある。なるほどなるほど、と解説を読みながら正しい理屈・解答の筋道を追い、自分のでっちあげた嘘理屈よりもはるかに説得力のあるその論に納得し、その場をおさめる。
問題はその後だ。後日、一度目に間違えた部分の見直しなどという殊勝な作業をするのだが、そういった「嘘理屈問題」に再び出くわしそしてやはり以前と同じ道を通り、かくしてその問題に不正解となることが往々にしてある。答えを再び見た瞬間「あちゃー前も同じ理屈で間違えたわー」と驚愕。アホすぎるぞ自分の脳みそ…。


ないだろうか、そういうことは。


なぜこのような悲劇が繰り返されるのかと考えるにそれは、一度目に解説を読みながら最も印象に残るのが解説の内容ではなく「この問題は嘘の理屈をでっちあげてしまって間違えた」という事実自体であるから、ではなかろうか。そしてその問題を再び見るに際しこう思う。あ、そういえばこれは変な理屈をつけたせいでこの前間違えてしまった問題だぞ、危険信号コーションコーション!ルル飲んでルル!
するとどうだろう、頭にまっさきに浮かんでくる「正しい方の理屈(←筋がきれいに通っているし、一度はちゃんと正しいと認識しているからまっさきに浮かんで来やすい)」を「おおっとこれは要注意、あぶねーあぶねー」と否定してしまうのだ。さらにあろうことか、その後浮かんでくるセカンド・オピニオン(=自分が以前でっちあげた嘘理屈)を「これならいけそうだぜヒャッホイ!」などと舞い上がりそのまま採用、はれて撃沈の憂き目に遭うという。マイナスよろしく、馬鹿の3乗はやはり馬鹿だ。


一回目に勉強したときに「この考え方はここがこう間違っているからダメ!」と常に納得し完全に頭に入れられれば良いのだけれど、何問も解いているとなかなかそうもいかず、しわ一つ無い僕の脳のキャパシティでは一発で全てを覚えきるなど到底不可能であり、そして僕は途方に暮れるのだ。今日そういうことが2問立て続けにあってもう死のうかと思った。あービール飲も。