それわかってる?

ドアをノックするのは誰だ!トイレの!


いつも思うのだけれどなぜ「赤」って分かっているのにドアを叩く人がいるのだろう。理解できない。まだその子が小学生で「青はopen、赤はoccupied」という社会のルールを知らないのならまだしも、ドトールに立ち寄るようなサラリーマンやOLに大学生がドアをコンコン。私だって分別のある成人だ、公共の場で用を足すときは一秒でも早くことを済ませ、便座の汚れを表裏確認し適宜清め外蓋を閉めてからトイレを後にする紳士の中の紳士だ。*1
赤なんだからどう考えても入ってるでしょ?分かられよ。察せられよ。諸兄らもいい年した大人なのだからその変は。そう思うのは私だけだろうか。


お前が占領しているそこを速やかに解放せよ、という無言のプレッシャーだとしたらそれは人間としてのモラルにもとる最低の行為だ。心すり減らす日々にあって唯一訪れる安らぎの時間にズカズカと土足で踏み込んでくる、それはまるで畜生の振る舞いではないか。いや、そんなことを言ったらむしろ動物に失礼だろう。それに、いざドアを開けてみて「本当に漏れそうな」切迫感を漂わせた表情にお目にかかることはまずない、十中八九ない。
色覚異常か、赤と青の区別がつかないタイプのやつ(全色盲?)か。もしそうならば仕方ないしこのようなふざけたエントリを書いていること自体が極めて下卑た態度になるが、ドアノックの発生頻度から考えてさすがに全員がそうということはなかろう。扉の向こうの彼ら(男女共用なら彼女ら)は心に色がついていない。相手をおもんばかる姿勢が足りない。腹立つ、腹立つわーノック族。


人がトイレに入ることで時空間にゆがみ・ひずみが生じ、私からしてみたらトイレの内側にあたるそのドアの向こうがはるかかなたの時空とつながっている可能性。どこでもドアのビジョン。これも否定はできない。
例えば外にいる人にしてみたらそのドアは内田裕也の控え室前の扉であって、ノックくらいしろ!など杖を振り上げ怒鳴られたら大変だからおっかなびっくりでドアを叩いているのかもしれない。そう言えば、心なしか鳴らされるリズムは8ビートな気もする。その場合は確かにロッケンロール!と威勢良く答えない私に否があると言えよう。私も男だからそこは潔く頭を下げよう。だがしかし、私がトイレに入るたびに決まって内田裕也の控え室との時空ワームホールが誕生するというのも不自然だろうし、ドアの向こうの付き人も「裕也さん出番でーす」くらい添えても罰は当たらないではないか。やはり他者への配慮が足りない。


さてこれからドトール言ってきます。ロッケンロール!喉のならし運転もカンペキです。

*1:いつも疑問に思うんだけれど蓋とかって閉めない方がいいんですかね?