働く男

今日はにちようび、日曜日。安息日だ。ここは一つ文献はおろかインターネットにすらあたることを自らに禁じ、キリスト教についてなにひとつ調べずに思うところを書こうではないか。


日曜日にお店は休む。出勤の義務からも普通は解放される。日本では休みにならないお店も多いし、休日出勤は今でも美徳のひとつという風潮もなくはない。しかしその一報で、数少ないヨーロッパ体験からするにかの国の人たちは、私のようなエトランゼにも「この休みようは半端な覚悟ではないぞ」と容易に伝わり来るいきおいで、血眼になって日曜日を休暇の日としている。ようなイメージが何となくある。きっと家の中でチョコレイトサンデイをむさぼり食べメタボリックシンドロームを育んでいるのだろう。


本当かどうか知らないけれど、安息日だから。安息日だから今日はきちんと休む日なのだ。という理由付けを話のタネとして何度か聞いたことがあるように思う。ご説ごもっともである。
ただしかし気になるのは、安息日、これは月〜土に一生懸命ぼくらの住む世界を形作ってくれた神様にとっての「安息」なのではないかということだ。働きづめでは神様もさぞかしお疲れだろうし神様だって人間だから休息も必要だろうけれど、とまあ小粋なジョークも挟んでみたけれどそれにしても、神様と一緒に人間も休んで良し!とされる理屈がどこにあるのだろう。


神様が休んでいるなら俺たち人間も休もうぜ。という発想がもし可能であるとすれば、その根底には「神様よりも人間が偉い」という思想が存在することになる。神みたいなもんですら日曜日ダラダラ休んでいいんだったら、俺ら人間様だって休んで良いだろう、働かなくてはならない理屈がないだろう、という。
いやいや何言ってるんすか神様の方が僕らなんかよりエラいに決まりきって、いやいや比べるとかそういうんじゃなくてホント畏れ多いと自分でも思うんすけど、とにかく神様は僕らなんかじゃ及びもつかない雲の上のお方ですから。そう思っているのならば、安息日に神様が休んでいようがなんだろうが人間は働くのではなかろうか。自分より立派な人が休んでいようが何だろうが、自分が休んで良い理由にはならないはずだ。
以上に見るように「今日は安息日だから」を理由に日曜日を休日としている人間は、ちょっと神様のことをナメているということになる。


誰かそこら辺について詳しい方、いらっしゃったら教えてください。僕は調べる元気がないし、今日は安息日なのでそういう面倒なことはしません。