最後の「祖」だった人

祖母が死んだ。
正月に原因不明で熱出してて、腫瘍もみつかんないしリウマチも目立った感染症も無いから、もうこりゃ完全に老衰による肺炎か何かですかね、タバコは飲むわ糖尿あるわそれなのに飯ばっか食ってるわで体ボロボロだし。とか思ってたらパパっと回復、元気になっちゃってなーんだ、こりゃまだしばらく生きるな、全くしぶといお人だよ節子さんは。とか思ってたら今日の昼、これまたパパっと調子を崩してそのまま死んだ。


「死んだ」の丁寧というかぼかしたというか、とにかく大人な表現として「亡くなった」とかもっと言えば「不幸があった」とかあるし、死者に対する礼儀であり畏敬として、そういう言葉を使うべきなんじゃないかって気もするんだけど、そんなんじゃなくてとにかく「死んだ」って感じ。言葉を飾る暇もなくあっけなーく死んじゃった。僕にとって人が死ぬときに一番現実味があって実感のわく言葉はやっぱ「亡くなった」とか「お隠れになった」とかそんなんじゃなくて「死んだ」だ。大好きだったおばあちゃんはやっぱり僕の現実の中で命を終えてほしいから、やっぱ「死んだ」だ。


実習室で解剖してて、肋骨はずして胸腔出して、肺も切り取ったし、ああひと区切りついた。いやーそこそこ進んだなあと思いながら携帯ちらっと見たら母親から着信とメールがあって「おばあちゃん亡くなったって」だって。おいおい、おばあちゃん!この前会ったとき(id:shoshoshosho:20051010)もあんま調子よくなさそうだったけどそれにしても元気になったり死んだり忙しい人だ。


まあ鬱の時もあったから四六時中元気なわけじゃなかったし、孫の前だけかもしれないけど、すごくよく笑うおばあちゃんだった。つらいことをピシッと笑い飛ばせる人だった。
ご冥福をお祈りします。あの世で隆さん(祖父)と久しぶりに会うのもいいもんでしょ。


というわけで明日明後日と大阪は堺市百舌鳥陵南町へ通夜に葬式に告別式に行ってきます。
しんみりしながら全力でわいわいがやがやしてきたいと思います。きっとそういう親族達ばっかです。