銀杏BOYZ聞いてて思ったこと

AにはAを、の話。


目には目を、やられたらやりかえせ。っていうハンムラビがすごく僕は苦手だ。誰もが納得する解決策としてものすごく説得力があるのはわかるけど、世の中の「マイナス」の増加に自分が関与してしまうのが嫌だ。
もちろん、例えば最愛の人が殺されたり誰かの悪意で自分の将来が台無しになったりしたら、そいつにも同じような不幸を味わわせたいと思うだろう。まあ「そいつの最愛の人を殺す」ってのは何か違う気がするから、分量っつうか質っつうかそういうもんが同じかそれ以上になるようなあり方で、そいつに不幸や悲しみを与えたいと思うだろう。でもそういう場合でも、「苦手だ」に「やり返したい」が勝るってだけで、実質「苦手だなー」の分量が減る訳じゃない気がする。
てなわけで、って何も説明してないけど、僕はハンムラビが苦手だ。あ、ハンムラビ法典の他の条文なんて知らないから、ハンムラビっつったら「目には目を」のことね。法律に詳しい人以外は大体みんなそんなもんでしょ。


で、話は急に銀杏BOYZだけど、「もしも君が泣くならば僕も泣く」っていう、こういうハンムラビはすごくいいなあと思った。もしも君が泣くならば僕も泣く、もしも君が死ぬならば僕も死ぬ。


似たような作りの言葉に「他人にしてもらいたいことを相手にしなさい」ってのがあるけど、僕はこの教訓が苦手で、これって「思いやり」は巡り巡って必ず「自己愛」になってしまうんだよ。ってことに無自覚な人ほどよく使う言葉だと思う。
結局どんなに考えても相手が望んでることなんてわかりゃしないんだから、今できるベストのこととして「自分がしてもらいたいこと」をするしかないじゃないか、それが相手への最高の思いやりじゃないか、っていう意味(へちかんシステム!)で解釈するのであればこの上なく素敵な言葉だと思うんだけど、そういう意味で「他人にしてもらいたいことを〜」を発信/受信している人ってそんなに多くない気がする。どういう風に解釈したら偉いとかそういうことを言いたいんじゃなくて、1つの言葉に色んな取り方があるなあって話としてね。


で、銀杏のはそういう「相手のことを考えていない『他人にしてもらいたいことを〜』」とも違うなあと。もしも君が無くなれば僕も無く、もしも君が叫ぶなら僕も叫ぶ。
「もしも君がAしたら僕もAする」の「A」の部分が自動詞。っていうそれだけだと思うんだけどやっぱこの歌詞いいなあ。これ以上ないくらい簡単な言葉しか使ってないのに。


あと曲がよすぎる(ゴイステ版もいいけど、銀杏版はケタ外れに超イイ!)から言ってることもカッコ良く聞こえるっていうのもあるだろうな。銀杏聞いたことなかったら説得力も何もないけど、ホントいいのよ銀杏の「君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命」。

ああとにかく、銀杏の「もしも君が泣くならば」はめっちゃいい歌!