そうは言ってもいい大人だ。僕もあの子もあの人も、神の子供たちはみな大人だ。
上戸彩がベスト盤を出すことも笑って許せるし、ある日パパと二人で語り合ったグリーングリーンが離別と喪失の歌だということも知っている。なぜって大人だから。13時からのテレビは「ごきげんよう」ではなく「恵美子のおしゃべりクッキング」だ。なぜってそう、大人だから。


雲間を抜け窓を射す太陽が少々遅い朝を告げ、重い頭を抱えた僕は洗面所に向かう。一般外科の卒業試験終了に際しクラスメイトたちとささやかな祝杯をあげた翌日、やはり昨日は少々飲み過ぎたようだ。少々記憶もあやふやだ。
二日酔いで痛む頭。「駄目な」という連体詞はついてしまうが、これもかなりの大人っぷりなのではないだろうか。大人になれば何でもできる、クールに毎日をこなし悩みなどないと思っていた季節を通り過ぎ、大人もとまどい喜び二日酔いになるという事実を真正面から見つめる。そういう駄目さを愛し抱きしめ、まあいいではないかとやさしく赦す。それこそがほろ苦い大人の味だ。秘密のスパイスだ。甘いだけではない毎日もなかなかに悪くない。


さあ、顔を洗おう。今日も一日を始めよう。とセッケンを手に洗面台を前にするどうしたことか、自分によく似た、しかし何かが明らかに違う男が目の前にいる。分かっている、鏡に映るのは自分だ。目の前に映る像は自分と同じ自分だ。自分と同じ自分から見れば、自分と同じ自分と同じ自分が自分だ。だからとにかく鏡には自分が映っているはずだ。なのにやはり何かが違う、ティッガァ〜ウヨゥ。ホゥワッツ ゥロォング?ジョウオゥ〜ジィ クルゥーニイィ〜。
鏡を前にマリリン・モンロー英語も交えつつ考えること15分。答えが、出た。何が自分と違うって鏡の奥の自分は落書きされているのだ。額に。マジックで。おいおい、額っていうのは汗して働く場所だぜ。フリーのフォワードが走り込むスペースでも収納付きシステムキッチンでもないぜ。ましてや、落書きする場所などではないんだぜ。


26才の男がおでこ(ホゥッデェ〜コゥ)に筆入れされている状況。これは相当に大人でない。築き上げてきた大人の経験値が一瞬で水泡に帰すような、未曾有の大失態だ。そもそも額にイタズラ書き、平成18年にそれを許されるのはしょこたんブログだけだ。彼女はアイドル、僕は/僕らは大人!
百歩譲って大人もいたずら書きをするとしてそれはもっとこう、「近頃都に流行るもの〜」なる社会風刺や、鏡に口紅で"bye-bye xxx"、そういった類のものだろう。最後のxxxに憤りを禁じ得ないが、それはまた別の話だxxx。
しかも肉である。よりによってセレクトされた文字が肉である。さすがにそれは「王道すぎてやってはいけないこと」だと思っていたのだが、むしろ「やったもん負け」くらいに考えていたのだが、どうやら認識を改めなくてはならないようだ。もちろんこれは皮肉100%だ。どうせならもっと大人の言葉を選んでいただきたい!


というわけで明日は「おでこに何を書くのが、大人として正しいのか」をみんなで考えてみたいと思う。