ジャイプール(JAYPUR)その2

今日もジャイプール。日中は風の宮殿、アンベール城をめぐりラクダにも乗った(少年が平気でラクダを蹴飛ばし罵倒し服従させているのにビックリ)。夕方から昨日とは方向を変え旧市街を散策する。


短いインド行きではあったけれど、その中にあって旧市街の汚さはピカイチの輝きを誇っていた。糞尿は当たり前、道路脇にそのまま捨てられた生ゴミ(ゴミ捨て場だったのかもしれないけれど、地面の他の部分と連続していたから判別できず)、それをそのままご飯にする牛、そして再生産される糞尿。感染症にとってこれ以上ないうってつけの温床がおあつらえ向きに用意されていた。結核罹患率も半端じゃないだろう。そうだ、ブレブレだけれど子連れイノシシがゴミの山からご飯を調達しているのも見たな。この国は動物と人の距離が、日本の価値観からするに、異様なまでに近い。


石膏を削る商店からは粉じんが噴出しまくり、化学用品はそこら中に放置、車の排気ガスで視界には白くフィルターがかかる。ここで1年も過ごしたら間違いなく肺まっ黒け、道行く人が唾ばかり吐いているのはどう考えても気管がやられているからとしか思えない。一日中フィルター無しでタバコ吸うより劣悪(と感じるくらい厳しい)なエアー環境がそこにはあった。片目のない人、足の動かない人、あからさまな皮膚病、たくさんの人々が街を歩いていた。


字面を追うだけの勉強ほどつまらなくかつ身に付かぬものはなく、教科書の、いやあらゆる文面の裏にある「こころ」を読み取ることはとても大切なことだ。基本的に「こころ」を全くつかめぬままに学部を終えてしまった医学の中でも群を抜いて「字面」度の高かったあの分野、すなわち国家試験でたくさん出題があるからとイヤイヤ勉強をしただけの公衆衛生、その重要性がひしひしと迫ってきた。食品衛生も環境基準も感染症法も、しかたなしに覚えた基準値や物質名の数々も、全部にちゃんと「こころ」が通っていたのだろうとインドに来て遅まきながら気付いた。日本とインドを比較するに公衆衛生はここまで世界を変えられるのかと、心が揺さぶられ身が震えた。
国家試験の前にインドに行っておけばよかった。記憶が鮮明な方がよいから直前に行けばよかったと思う。102回受験生のみんな、1月はインドへ行こう!…すみません嘘ですそんな精神的な余裕どこにもありませんでした、それに自分が来年また受験生だったら自分がインド行かなくてはならないし。


そうそう、ホテルで両替を頼んだ際に署名をしたらホテルマンに一発で名前を覚えられた。何度かフロントにて「お前の名前は○○だろ?」と聞かれ、その後には何やら従業員同士のニヤニヤ含み笑いを頂戴するのだった。僕の本名はヒンディー語でかなり恥ずかしい音をもっているのだと見た。アヌス太郎。みたいな名前だったらどうしようか。むしろ誇らしいけれどな。