えもん

肉感的になっていた。家庭教師先でのこと、生徒は昼間に大長編ドラえもんを観てきたらしくいたくご満悦の様子。姉に買ってもらったパンフレットを自慢げに私に示す。驚いた。以前から声優や作画が変わったという声は漏れ聞こえていたが、まさかここまでドラえもんが肉感的になっているとは。からだをよじる際のネコっぽいフォルム、風でなびく口もと、ときに赤みをおびるほほ、感情表出の面でも身体性においてもあまりに人間くさいドラえもんがそこにいた。


私の思い出の中に今もあるドラえもんは、もっとこうソリッドで、体型が固定されていて、人なつっこく愛くるしくも「機械」であるという一線は超えないような、写実派とでも言えようか「リアリティ重視」のドラえもんだ。ドラえもんに写実など言っている私の頭のかなりゆで上がっている感は否めないが、それにしても。パンフレットの制止画とはいえ何年かぶりに見るドラえもんはまるで別物のように私に迫ってきた。


この思いは2時間の後、さらに確かなものとなる。算数を教え終わりテレビで放映されていた「のび太と恐竜」を観ながら夕飯をいただいたためだ。女性らしいとも言えるほどの「何かしら」を感じさせる肌の張り感、腹部に見られる磨き込まれた適度なだらしなさ、先程の違和感はやはり当を得ていたらしく目の前で活劇を繰り広げる新ドラえもんは意識の高いグラビアファイターみたいなことになっている。私の頭の中に宿るドラえもんのかげに比べ、ブラウン管の向こうがわの新ドラは間違いなく一段階エロい。ドラえもんというよりはドラえもん2、帰ってきたドラえもんドラえもん・リローデッドといった風貌をたたえている。


いまの子たちはこういうドラえもんで育つのかと思うと、揺るがない共通認識の代表格であったドラえもんですら同一のものではなくなっているという一抹の寂しさを感じた。しかしながら新ドラえもんの演出は、アニメで子供をドキドキさせてやろうという大人からの愛情と意志、それを実現すべくもたらされた無数のアイデアに満ちているように思え、心から面白かった。旧ドラよりもアニメとして俄然楽しめた。