卒制

サークルの後輩には「美大」という、ムダに長いペーパーテスト漬け大学生活の最後の最後にあろうことか「問題集」と「マークシート」そして「偏差値」が大口を開いて待ちかまえるような、無粋極まりない学部で時を過ごした私にとってはほとんど異空間、距離で言えば木星クラスの遠けき彼方に通っている人がおり、その卒業制作展を見学してきた。いやあ木星は遠かった、なにせ地球から500万kmだからな。


6年間も大学に学部生として通っておきながら何一つ形になるものを残していない身からすると、「作品を残した」という事実だけで展示をしているみなさんが神々しく見える。しかも制作者は大学4年生。その頃の自分を思い出すに、本当に何一つ勉強していないバカ人間だったし学業に限らず考え方は世界中の任意の水たまりよりも浅かった自信がある。その状態で「じゃあ何でも良いから作って」と言われてもただ怯え震えることしかできないだろう。各種動物を観客の前で一匹ずつ殺し嫌悪感を覚えた人にはスイッチオンしてもらうことで、各動物の死を笑っていいとも的に定量化し比較する。人力でどれだけ深く穴を掘れるか挑戦する。「卒論論」的な、明らかにテーマ先行の駄文を記す。などの行為に適当なヘリクツ(生の意味を捉え直すとか、卒業という概念自体を相対化するとか)をつけて急場をしのぐであろうことが容易に想像される。さすがにそんなウンコみたいな内容で急場をしのげるわけもないことが容易に想像される。


卒制でも卒論でも、何ものかを残すのに4年間という時間はあまりに短くて、はっきり言って大学4年生なんてどれだけがんばって背伸びをした所でバカに決まっている。今日見た展示も全部が全部すごいものだらけというわけではなくて(私の理解力不足が主な原因とは思われますが)、何と幼い!というものや「え、そんなんで良いの!?」と思ってしまうものもあった(私の感受性にカビが生えていることが主な原因とは思われますが)のだけれど、ただそのバカをさらす勇気というかバカでいる覚悟というか、批判され傷つくことをおそれずに何かを生み出そうとすること、笑われるために一歩を踏み出すこと、それってものすごく大切だ。幼くてつたない議論で、結論なんて間違っていてよいから自分のアタマで、それこそ脳みそがねじ切れるんじゃないかと思えるくらいまで考えぬこうじゃないか。そういう姿勢が僕には決定的に欠けていて、今日のような発表会を見るにつけただただすごいなあと憧れにも似た気持ちを抱くのだった。他人の芝生はいつだってあおあおとして見えるのだった。


完全な余談だけれど教授が格好良かった。シャレた私服にピンク混じりのビニ傘で会場に現れ体感型インスタレーション(ていうの?)に興じ、小粋にCHIMAYを飲んでいた。アートネイチャーを身につけてはネイチャーネイチャーとがなりたてる、というジョークに勤しまれるユウモアの精神に満ちた教授や、同窓会の栄光と名声を地に落とすショボくれた門(「鉄」製ダヨ!)に自分のイニシャルを隠しご満悦、かえって自身の株を下げてしまう茶目っ気たっぷりの教授しかいらっしゃらないどこぞの学部とはえらい違いではないか、いやもちろんお二人ともその世界では超がいくつ付いても足りないくらいの超一流なのだけれど。そう、他人の芝生はいつだってあおあおとして見えるのだった。