くわるび

所属していたオーケストラ・サークルの合宿をひやかすため、向かうは西湖。先週もここに来た記憶がある。そういうたぐいのニューロンが発火している。西湖のあそこらへん、というアバウトな理解にもとづき道を行くと、たどり着いた先はくわるび別館だった。3年前にも5年前にもサークルやクラスで同じ宿へお世話になった来た記憶がある。かの地にまつわるそういうたぐいのニューロンが燃えさかっている。運命の糸がみちびいている。
私は最終日だけ合宿におじゃましたのだが部屋に入るなりM浦の顔が見えた。3年前に西湖で白鳥にさらわれたままこつぜんと姿を消したM浦の顔がありありと見えた。ありし日の記憶とすりあわせながらの入念な観察のすえ、彼は3年間の白鳥生活を経てくちばしを身につけていることに気が付いた、かと思えばそれはリードだった。運命の糸がみちびいている。


温泉につかりバイオリンを弾き、後輩への言いたい放題(女の子に向かって「きみは楽天田中将大に似ている」など)をさかなにお酒を飲んでいたら朝が訪れていた。飲み過ぎたまま倒れるように眠ることはままあるが、家へ帰る手間のない合宿の場においてそれはとみに顕著だ。廊下でたおれ救急車で運ばれたりトイレで便座に腰かけたまま下半身丸出しで意識を失ったりと、深くきざまれた(しかし何の記憶もない)思い出が毎年のようにある。本当にご迷惑をかけっぱなしで申し訳ありませんでした、先輩・同輩・後輩のみなさま。


2ヶ月ぶりのオーケストラは胸がふるえ心の高鳴るものだった。また将来なんらかの形で接することができればと心から思った。合宿という形態で多数が揃って生活をすることの喜びも、とても大きなものと改めて感じた。みなとの別れ際はいささかのもの寂しい気持ちにも襲われた。合宿に限らず東大フィルで私にかかわってくれたみんな本当にありがとう。
帰途にあってオナニーは「御ナニ」であり生命の神秘に対する深い畏怖の念に支えられた言葉であること、外国人に「日本ではオナニーのことをフジヤマって言うんだぜ、フジヤマフジヤマ!(身ぶり手ぶり)HaHa!!」と言えばまず間違いなく信じるだろうことについて、満場一致(T田とS藤と私)のコンセンサスが得られた。バスで帰った他の団員たちは男3人の車中がここまで酷いものだとは、よもや想像もしていまい。あまりの実りのなさ、またそういったたぐいのニューロンばかりが容易に発火する事実に、いささかのもの寂しい気持ちにも襲われた。とまれ東大フィルよありがとう。相変わらずの楽しい時間がいつものようにそこにはあった。