橋の上

あれ、例のあれ。つり橋効果というマジックつまりつり橋に代表されるような「恐怖で心拍数の上がるシチュエーション」においていとしいあの子に告白すれば、ドキドキした心臓を胸の高鳴りと勘違いした彼女はどうだろう、あれなんだかこの人のこと好きかも、トゥキかもシレナイ!と恋の成就が容易になるという噂でもちきりのあれ。


この場面設定って、そもそもが「二人で吊り橋がぐらつく危険な場所に行く」というかなりのハードルを越えなくては実現できないわけで、ということはつまりその状況にもちこめただけで告白する側にしてみればかなりの安心感、これはもう告白しやってオッケーだろう感でいっぱいなわけだ。ケントデリカットの眼鏡だ。大学時代に学んだことの記憶もすっかり抜け落ちそれを何バイアスというのかわからない(誰か教えてください)。けれど、「揺れるつり橋の上で愛を伝えれば相手の心もぐらぐら揺れるぞ」といったはやりことばは、それはそれで真理のひとつの側面を突いてはいるものの、横たわる前提条件を考えれば当たり前の事実とも言えるんじゃないのか。


何もない草地に恋を呼び込み花を咲かせるためのマジックが、希望にみちた肥料と土壌、そしてケントデリカットの眼鏡が必要なのだ。ところがどっこいつり橋は、つり橋にもちこめた時点でもうほとんど告白成功という意味で恋のテスターにはなるけれど、恋を育む土壌としては決して機能しない。それじゃ意味ない。