フィル

学生時代(このことばも悲しいことばだ…)に所属していたオーケストラ・サークルの演奏会を聞いてきた。えもいわれぬ一体感だった。やはりオケは楽しそうだ。見ているだけで楽しいのだからステージの上にいたらどれだけ胸がふるえることだろう。将来、時間に余裕が少しでもできたのならば必ずや。もう一度オーケストラで周りのみんなと一緒に音楽をやりたい。


本文はここまでだ。これ以上の、語りつくせぬ思いは胸にしまっておくとして、最前列に第2指揮者がいた。短髪にTシャツというシンプルないでたちの客席コンダクターが意気揚々と両手を振り上げていた。ベートーヴェンは「運命」の冒頭「ンジャジャジャ ジャ〜ン」に合わせ思いのかぎり腕を振り、「ジャ〜ン」部分に至っては両手をつばさのように広げて今まさにはばたかんと、この大空につばさを広げ飛んでいこうとしていた。いる所にはいるものだ。目を合わせてはイケナイ。今わたしのねがいごとが叶うならば、どうか神様この男を私の目から見えないところ(藤井フミヤのライブ会場とか片岡鶴太郎の個展とか)に追いやってほしい。


私も行儀が悪いとは知りつつ、クラシック・コンサートの場でついからだや頭を揺すり手足を律動させ、リズムの妙を身体で感じてしまうという悪癖がある(別にリズムのことなど何もわかってはいない)のだが、それでも最低限、一定度の遠慮と配慮をのぞかせているつもりだ。ところが2列前に陣取るTシャツの男性は全力で手をはばたかせ首を振り、全力でシベリウスラフマニノフ、そして前述のベートーヴェンと対峙している。いってんの曇りもない歓喜がそこにはある。悲しみのない自由な空へつばさをはためかせるその所作は視界どころか耳にまでさわることこの上なく、迷惑千万とはまさにこのことではあったものの、その全身全霊の姿にはある種のうらやましさが漂っていたのもまた事実だった。