とし子

今年最後のロマンティックのためには、呼吸器科の忘年会でとある看護師さんの言っていたことを思い出す必要がある。
まだ看護師になる前、私ピザーラでバイトしてたんです。それでそこの店長をすっごい好きになっちゃって、その時もやっぱり今日みたく忘年会だったんですけど、コバヤシさん(仮名)好きな人とかいないの?みたいな流れになって。で、私はバイトだしそういうのをずっと言い出せてなくて、でもその場の勢いでイケウチさん(仮名)が好きです付き合ってくださいって思い切って言っちゃったんですよ。他のバイトの人もいっぱい見てて一瞬何だかすごい感じの空気になっちゃって、でも、そこで、店長さんが「オッケー」みたいな内容の言葉をくれて、それから付き合いだしたんですよー。


ピザ屋の彼女になってみたい。忘年会にかけるこの勇気を何に例えればよいだろうか。無類の思い切りと言えよう。何でまた、そんなに勢いづいて告白できたんですか?と聞くに「だって、このままじゃ年を越せないと思ったんです!」と。かっこよすぎる理由だ。年越しに対するこれ以上の誠意はまずないだろう。西暦何年のできごとがは分からないが、越された年も年冥利に尽きたに違いない。
大晦日や正月など人間の都合で作られた日付だけれど、越せるか越せないかで一組のカップルが成立するほど、そしてそのカップルは今や夫婦になっているほどのパワーが秘められている。人の決めたルールの中で人はどこまでも自由。それが年越しに秘められたパワーだ。イケウチさん(旧姓コバヤシさん)、おめでとうございます。


偏差値38からの国家試験受験を経てかろうじでお医者さんデビュー、勤務地に合わせ住み慣れた本郷を後にして小平へ移転。いざ踏み出した臨床の現場では驚くほどに何もできず、諸先輩方の勇姿を背中から学びながらの立ちんぼ人生。また、むりやりフジロックへ参加し、インド・ベトナムカンボジアへ旅行もした。怠惰の荒波(怠惰ル・ウェイブ)にもまれ育った私としては考えられない程に、非常にイベントの多い毎日だった。


良い1年だった。大満足で年を越せる。来年もすばらしい365日が訪れますように。ここを読んでくださった全ての方に光輝く毎日が降り注ぎますように。
それではみな様、良いお年を。私は台湾で年を越します。アデュー。