黙し、ただ祈る。

生きることは愛することで愛することは生きることだから愛のない人生を送るなんて生きていないのと同じだ。他者への、世界への愛ゆえに想像力が生まれ育まれ、それは倫理という名で豊かに結実する。すなわち愛とは生であり想像力であり倫理だ。他者へのシンパシーを欠如させることは世界を愛なき砂漠、倫理なき荒野に変えてしまうのと同じことだ。


ハジターローにもここに述べた愛の第一原理が当てはまる。皆が欲して止まないハジターローだがその数は当然ながら限られていて、ターロー1つからハジターローは2つしかとれない上に一日に得られるターローにも上限というものがある。だからこそ私たちはハジターローを愛する者として、ハジターローを生んだこの世界を愛する者として、互いに譲り合い、奪い合わず、倫理=愛情に基づいた行動をしなくてはならない。ハジターローとはつまりそういうものなのだ。


思わせぶりな書き方をしているけれどそろそろハジターローが何なのかの説明があるのでは?と思っておられる方も多くあろう。しかし今日はそういう人たちを全て置き去ろうと思う。ギュオーン!そんな暇はない、私のこの怒りにはスピード、スピードが必要だ。怒りという名のスピード。私の倫理感であり想像力に駆動されている点でこれもまた充分に愛、言うなればキャディーガー・ラドンターなのだ。ちなみにこれはhitomiは「CANDY GIRL」の歌詞である。いくらなんでも分かりにく過ぎたと思われるのでハジターローの説明はなくともここは補足しておこう。本邦初、CANDY GIRLの流れるブログ誕生の瞬間である。



キャディーガー・ラドンター・ハジターロー。俄には信じがたい話だが、あろうことか「ハジターローでお願いします」と注文をつける不逞の輩が世の中には存在する。初めてそれを耳にしたとき私はまず自分を疑った。勉強の疲れから来る幻聴かと真剣に悩んだ。今のはそれっぽく聞こえた外国語かとも考えた。それほどまでに衝撃的なことなのだ、ハジターローを自ら要求するということは。
お前らどれだけ言いたい放題で傍若無人な要求をしてるんじゃボケ!hitomiか!先の言葉が幻聴ではないことを確認した後、ようやくどっしりと腰を据え怒りを覚えることができた私。ハジターローを堂々と所望、厚顔無恥もここに極まれりだ。hitomiか!親の心子知らずハジターローの恥知らず、昔の人はよく言ったものだ。


なお、hitomiか!というのは不遜なる件の客を見て「Do you want Do what you want CANDY GIRL!!」という歌詞をうろ覚えで何となく思い出したことによる。お前はCANDY GIRLじゃないからやりたいことやっちゃダメだろ!大体なあ、お前のバカな発言のせいで何一つ否のないhitomiが不当にツッコミに使われてんだぞ!その客にきちんとそう伝えるべきだったと今でも後悔することしきりである。他者へのシンパシーを欠いた人間を叱りとばすことは愛情の一つの形だからだ。さらに言えば教育とは倫理を持つ人間に与えられた使命かつ義務だからだ。


繰り返しになるがハジターローは限りある、個人の気ままな欲望により容易に枯渇し得る極めて貴重な資源だ。高い価値、すなわち多くの他者の欲望がそこにはある。ハジターロー、ハジターロー。思わず二回言ってしまったが、それは個人が欲望のまま独占してよい代物ではないのだ。ハジターローに見る公共心の欠落、これは世界の根本を揺るがしかねない非常に重大な問題と言える。加えて何より問題なのは、使い過ぎにより私自身も段々と「ハジターロー」が何を指すのか分からなくなってきてしまったことだ。どうにかこのエントリの最後まで保ってくれ、私の描くハジターローの輪郭よ。だからもっとスピード、スピードが必要だ。


世界中の誰もが、いや、それは言葉が過ぎるにしても多くの者はハジターローを欲する。そしてハジターローを欲する者は他者もまた同様にハジターローを欲するであろうことを想像するからこそ、つまりハジターローに媒介される、想像力という名の愛であり倫理感を持つからこそ「ハジターローで」などと調子をこいたことは決して言わない。言えない。その一言は世界を愛なき砂漠へ変えてしまう禁断の呪文なのだ。
慎ましやかにタンタンメンを注文し、乗せられ運ばれ来るターローは天に任せる。黙して、ただ祈り、そしてハジターローであれば儲けもの。これこそが世界に対する正しい愛情表明の「作法」である。「口に出さない」とは沈黙という形で唱えられる至上の愛だ。


濫用に次ぐ濫用でもはや私自身もハジターローが何を意味するか半分くらいしか分からなくなってしまった(字面は似ていても、ハジターローがアール・ヌーヴォーエルセーヌ、ましてやキャンディー・ガールの類でないことだけはかろうじで分かる)が、言いたいことはおよそ言えたのでそろそろ幕としよう。瀬佐味亭でいただく今日のタンタンメンは運良くハジターローで、そしていつも通りに最高に美味でまことに幸せであった。つかみ取る幸せより訪れる幸せが大切なことだって世の中には、ある。